(´・ω・`)ノシ

MASAYUMEのハルヒサイドです。
Prologueの続きです。


「おい、ハルヒ。いい加減にしてくれ。ちっとは俺の都合だとか、そういうのも考えてみたことあんのか?」
「なによ、たかが雑用の下っ端団員が、団長のこのあたしに文句があるっていうわけ?」
「――もう知らん。お前の好きにしろ。だが正直俺は我慢の限界だ。こんな部活でも同好会でもないモノ辞めてやる」
「あっそ。勝手にすれば。あんたの顔なんかもう二度と見たくも無いわ。世界の果てにでも、どこにでも行っちゃえばいいのよ。ふんだ」
 キョンはあたしの方も見ずに鞄を手に出て行ってしまった。
 ドアの閉まる音を聞いて、あたしは正気に戻った。またやってしまった。いつもの口ゲンカ。原因は些細なことだった。でも、売り言葉に買い言葉というか、つい、あたしはキョンに対して酷いことを言ってしまった。
 みくるちゃんも、有希も、古泉くんも、みんな黙ってあたしの方を見ていた。
 やっぱ、あたしが悪かったよね。
 キョンに謝らないと。
 あたしは立ち上がると、キョンを追って外に出ようとした。
 でも。
 ドアノブが掴めない。おかしい。
 急がないとキョンが遠くにいってしまう気がした。
 焦る。
 でもだめだった。目が回る。足元がふらつく。
「…………」
 言葉も出てこない。どうしちゃったの、あたし?
 だんだんと視界がぼやけていき、やがてあたしは、真っ暗闇に堕ちていくような気がして――。

 そこは、布団の中だった。
 え、夢?
 あたしの右手は、ドアノブを掴もうとしたかのように、何も無い空間に伸びていた。
 夢、か。
 なによ、あいつ。夢にまで出てきてあたしとケンカすることないじゃないのよ。
 そりゃ、昨日の放課後だって、ケンカ、とまではいかないけど、ちょっと険悪な雰囲気になっちゃったし。
 大体、キョンってば、みくるちゃんのことは全肯定で褒めちぎってるし、有希に対しても細かい気遣いとか柄にも無くフェミニストぶりを見せてるぐらいなのに、どうしてあたしに対しては歯向かってばっかりで、受け答えも面倒くさそうにしたりするんだろう?
 あたし自身、あんまりそういうのは気にしない方だと思ってたんだけど、ここまで待遇が違うのも、何か引っかかりを感じてしまうのよね。
 もうちょっとでいいから、あたしに話を合わせてくれたりとか、そういうのってないのかしら。
 なんだろう――ひょっとしてあたし、キョンに優しくして欲しいのかな?
 現実でも、夢の中でまでも、苦虫を噛み潰したようなキョン。その表情がふと目に浮かぶ。
 あいつも、普段はパッとしないけど、笑えば、ちょっとはマシな方だと思う。たまーにだけど、優しそうな目をしてることもあったし、そういう時はあたしだってちょっと驚いたりもする。
 あたしがいけないのかな?
 あたしが、もうちょっとでもキョンのことをマトモに扱ってれば、あいつもあたしのことを――、

 って、なに考えているのよ、あたしは。

 ちょっとパニクった後、自己嫌悪と憂鬱に苛まれる。
 ゆっくりと体を起こす。ふと目覚まし時計に目がいく。午前四時にはまだなっていなかった。全く、中途半端な時間に目を覚ましてしまったわね。
 深い溜息をついて、あたしは、また布団に潜り込んだ。流石にこの時間に起きるわけにもいかないだろう。
 寝直せば、もうちょっとマシな夢が見られるかもしれない。そうよ、いくら夢とはいえ、キョンとケンカしてそのままなんてのも、なんだかバツが悪いじゃない。
 でも。
 なんで、あたしはあいつのことで、こんなに悩まないといけないのだろう?
 キョンのことなんかどうでもいいはずだったのに。ずっとそう思ってきたのに。最近は何かとあいつのことが頭に浮かんでくる。一体どういうことよ?

 ああ、もう、わかんない!

 考えるのを止めようとして、それでもキョンのことをつい思い浮かべてしまって、そうこうしているうちに、あたしはまた、眠りに落ちていった。

 なにこれ?
 先程の夢から一転、あたしの目の前にいるキョンは、始終微笑みを浮かべていた。
「うん? どうした、ハルヒ」
 それに、やたらとあたしのことを気遣ってくれている。パシリだろうが荷物持ちだろうが、嬉々としながら、あたしの命令を一つ一つこなしていくその様は、ある意味、不気味だった。
「キョン、あんた、本物? 誰かが化けてるんじゃないの?」
「何を言い出すんだ? 俺は俺じゃないか」
 なにを訊いても笑みを崩さない。古泉くんが化けているとでも考えるのが一番ぴったりだったけど、あたしの目の前にはキョンと一緒にニコニコしている古泉くんもいる。みくるちゃんも有希も、キョンの様子を不思議ともなんとも思っていない様子だ。
「なあ、ハルヒ」
 キョンが改まって、あたしに話しかけてきた。
「な、なによ?」
 一体何のつもりだろう?
「今まで、その、すまなかった」
「はぁ?」
「俺は、お前のいうことに逆らってばっかりだったし、不思議探索でも役に立たなかったし、結局宇宙人も未来人も超能力者も見つけることが出来なかった。申し訳ないと思っている」
 こいつ、なにを言い出すのだろう?
「でも、ハルヒ。俺はお前に散々振り回されてきたが、退屈はしなかったぜ」
 いつの間にかキョンの顔からは、さっきの微笑は消失してしまい、見たことも無いぐらい真面目な表情に変わっていた。
「破天荒なお前の暴走っぷりには、呆れることが多かったのも事実だが。感心させられることも結構あった。実は、心の底ではハルヒのことを、俺は羨ましがってたのかもしれないって気がする」
 あたしのことを褒めてるんだか貶してるんだか。どっちなのよ?
「――だから、お前の作ったSOS団のみんなと一緒に今までやってきて、俺は正直とても楽しかった。心のそこからそう思っている。だから……ちょっと残念だ」
 えっ?
「残念って、なによ?」

 しばらくの沈黙。

 やがてキョンは何かを決心したかのようにこう続けた。
「実は、俺が北高に来るのは、今日が最後なんだ。急に、親の転勤が決まってな。その……転校することになっちまった」
「…………」
 何だろう? 隣ではみくるちゃんが目に涙を浮かべてる。古泉くんも、有希も、呆然とキョンの方を見ている。あたしは……、キョンが一体何のことを言っているのか理解できなかった。
「だから、お前に、はっきり言っておこうと思う。ハルヒ、今までありがとう。世話になってばっかりだったな」
 キョンがどんどんぼやけていってはっきり見えない。嫌だ。どうして?
「みんな、これからもハルヒのこと、よろしくな。それから最後に……ハルヒ。SOS団を頼んだぞ」
 ちょっとバカ、なに言い出すのよ。あんた、ふざけるのもいい加減にしなさいよ、キョン。
 そんな、あたし、さっきは「世界の果てにでも、どこにでも行っちゃえ」なんて言っちゃったかもしれないけど、真に受けることないじゃないのよ。
 キョン。ねえ、キョン?

 キョンの姿はどんどんぐしゃぐしゃになっていき、やがてあたしの周りの世界は真っ白になり――。

 やはり、そこは布団の中だった。
 さっきと同じく、中空に向かって伸びたあたしのマヌケな右手。
 急いで起き上がる。
 頬に何かが零れるのを感じて、あたしはさらに動揺した。
 何なの一体?
 そのまま布団に顔を伏せる。
 ありえない。
 キョンが、転校?
 頭の中が真っ白になる。
 何も考えられない。
 息が、苦しい。
 心臓がバクバクいってる。

 何分ぐらい、布団の上でエビ状態になっていたのだろう?
 辺りの明るさに、あたしは目覚まし時計の方を見た。が、そこには何も無い。
 ふと床に転がっているものに気が付く。ひっくり返ったその弾みで電池の蓋が外れて中身が飛び出したのか、バラバラ殺人事件状態の目覚まし時計の針は、アラーム時刻より遥か前で止まっていた。
 焦って携帯電話の画面を確認する。
 デジタルの数字は、あたしの事情なんかお構いなしに、現在の時刻を正確かつ冷酷に表示していた。
 ヤバイ。寝坊した。
 いつもならもう朝ご飯を食べ終えようかという時間だった。瞬間、頭の中でいつものタイムテーブルをおさらいしてみたけど、ギリギリ間に合うか、合わないか、微妙なラインだった。
 身体は悲鳴をあげていたが、それどころではない。慌てて身支度を開始する。
 洗面台では、酷いとしか言いようの無い自分の顔と対面させられることになった。案の定というか、そこで結構なロスタイムがあったために、あたしは結局、朝ご飯を断念することになった。
 母さんに謝りながら、あたしは玄関から飛び出していった。
 今なら――まだ、急げば遅刻は免れそうだ。相当走らされることにはなりそうだけど。

 いつもと違う、朝の風景。
 天気は快晴だった。こんなとき、雨なんかでも降ってたら、目も当てられない。さっさと遅刻することを選んだことだろう。
 いや、むしろその方が良かったのかもしれない。そっちだとかえって諦めもつくじゃないの。
 いつもなら、この時期の身体を刺すような空気は、あたしは嫌いではなかった。頭がシャキッとする寒さというか、気持ちまで引き締めてくれる感じは悪くはない。
 でも、今日のあたしにはちょっとばかり荷が重かった。冷たい空気を急に送り込まれた肺が刺激され、咳き込みそうになるのを何度と無く堪える。精神的にも、身体的にもダメージを受けながらも、何とかあたしは走り続ける。
 途中、いつもはさっさと渡ってる道路が変に交通量が多かったりとかして、ちょっと焦ったりもしたけど、何とかここまでこの時間に来れば、というところまでたどり着いたあたしは、乱れた息を整えようとして深呼吸した。
 もう、走らなくても大丈夫。ちょっと早足ぐらいで歩いていけば充分間に合う。
 先程まで酷使してきた身体のギアをシフトダウンする。それと同時に、張り詰めていた気持ちも少しだけ緩んだ気がする。
 心身の余裕を回復させたせいか、今朝の寝覚めの取り乱し具合を思い出して、思わず苦笑してしまう。
 バカみたい。
 キョンの奴が急に転校するだなんて。
 いくらなんでも昨日の今日よ。そんなに急な話なんて、あったりするわけが……、

 いや、実はあったじゃない。

 朝倉涼子は、周りに何も知らせずに、いきなりあたしたちの前から消えてしまった。
 愕然としながらも、あたしはかろうじて立ち止まることなく、早足を続けた。

 キョン。
 今日もあんたは、いつも通りのキョンだよね。
 急に優しくなったりとか、変にあたしのこと気遣ったりとか――しないわよね。
 半ば祈るような思いで校門から下駄箱に向かう。予鈴の音が鳴り響く。

 あたしが教室に滑り込んで席にたどり着いたのとほぼ同時に、担任の岡部がいつものように姿を見せた。岡部がキョンのことについてなにか言い出すんじゃないか? と警戒していたんだけど、そんな様子は全然無かったのであたしは何だか拍子抜けした。

 ホームルーム終了後、早速キョンがあたしに話しかけてくる。
「よお、今朝はちょっと遅かったな。何かあったのか?」
 普段はあたしが何か話しかけても面倒くさそうにしてるのに、今日に限ってキョンからなんて……まさかね。
「――別に。ちょっと寝坊しただけよ」
 浮かび上がる疑念を必死で振り払うと、あたしはいつものように無愛想に答えた。
 寝坊した理由を――夢のことを――キョンに話すことなんて出来るはずない。
「そうかい。ま、たまにはそういうこともあるかもしれんな。俺も実は今日はいつもより早く来ちまってな」
「なによそれ、自慢してるつもり?」
 もう少し様子見ね。しばらくは不機嫌モードで応対しよう。
「いいや。でもまあ、いつもと同じ通学路でも、ちょっと時間が違うだけで感じが違うもんだとか思ってな。なんか、こう、調子が狂うっていうか、なあ、ハルヒ。お前もそういうことって無いか?」
 なに、この雰囲気は。あたしはキョンの態度がいつも通りだという確信を持てずに、どうでも良さそうな話を続けた。
「まあね。道路を渡るときとか、普段と交通量が微妙に変わってたりとかね。あっ、そういえば道交法って、確か歩行者優先とかじゃなかったかしら。なのに、あたしが渡ろうとしてんのに全然譲る気配を見せない車共って一体何なわけ、あれ? 正直ムカつくわ!」
 あたしの言葉を受けてキョンは、少し真面目そうな顔になったかと思うと、
「だからって、横断歩道も無いところで、強引に車道に出て事故にあったりしたら元も子もないだろ。あんまり心配掛けんなよ」
 と、あたしに向かって、普段見せない優しそうな表情を浮かべた。
 何なの、この反応。
 あたしは少し固まってしまった。その間もキョンはあたしに向けて、その妙に柔らかな視線を送り続けている。あたしは、思わず目をそらしてから、
「ふんだ。あたしは、あんたみたいなマヌケじゃないの」
 と、わざと意地悪さを強調して答えてみせた。
 ちらっとキョンを覗き見る。先程と同じ視線があたしを捕らえている。
 なによ、もう。
 あたしは、耐えられなくなってしまい、机に突っ伏した。そして、
「ああ、それにしてもお腹すいた。朝ご飯食べてこなかったのは失敗だったわ。ねえ、キョン。あんたの弁当、ちょっとでいいからよこしなさいよ」
 と、あえて神経を逆なでするような調子で、無茶を言ってみる。まあ、お腹がペコペコなのは事実だったし。
 だけど、キョンの返事はあたしの期待を裏切るようなものだった。

 キョンは何もかもお見通しだ、とでも言いそうな調子で、
「弁当は無いんだがな。ホラよ、コロッケパンでいいな。クレームは受け付けん」
 というと、鞄からコロッケパンを取り出して、あたしの前に差し出したかと思うと、ニッコリと笑いかけてきた。
「キョン……」
 一体どういうことなの? 普段のキョンだったら、「お前に食わせるようなモノを俺が持っているとでも思ってるのか」とか言ってそっけなくあしらわれるものだとばかり思っていたのに。
 まさか、UFOのアブダクションによって頭に妙なチップを埋め込まれてしまった挙句に、どこからか宇宙人にでも操られているとでもいうのだろうか。
 はたまた、ここにいるのは、実は某社によって製造された、キョンそっくりのロボットであって、本物のキョンは何者かの陰謀でどこかに拉致監禁されている、なんてことはないかしら?
 と、普段のあたしだったら、そのぐらい違和感を感じてしまうキョンの態度だった。
 でも、そのときあたしは、今朝の夢を思い出していた。妙に優しいキョンのことを。
「どうしたの? あんた……」
 あたしが睨み付けても、平然とした様子は変わらなかった。まるで古泉くんからレクチャーでも受けたかのような微笑みを浮かべたまま、
「なんだ、いらないのか? それとも一個だけじゃ足りないか?」
 と、さらに気遣うような感じで言葉を続けてくる。どう考えても変だ。やっぱりいつものキョンじゃない。
 だけど、あたしはその場ではそれ以上追及できなかった。
 このままだとあたしのお腹が恥ずかしい悲鳴をあげてしまいそうな様子だったのと、不自然さはあるものの、ここまであからさまにキョンからストレートな好意を受け取ることは初めてのことだったので、なんだか妙に照れくさくなってしまったから。
「ん、……あ、ありがと」
 声がひっくり返りそうになったものの、あたしは何とか取り繕いつつもパンを受け取ると、キョンの視線を避けるようにそっぽを向いた。
 キョンからもらったコロッケパンは、何故だか妙に美味しいような気がして、あたしは食べ終えてしまうのを惜しむように、ゆっくりと一口々々味わっていた。

 なんというか、やっぱり今日のキョンはおかしかった。
 ずっとニヤニヤ笑ってる。あたしがなにを言っても、軽く受け流すかと思えば、時折気遣う様子も見せる。
 喉が渇いた、って、あたしが言ったときにも、
「しょうがないな。それじゃあ、ジュースでも買ってきてやるか」
 と、別に頼んだわけでもないのに嬉々として自販機の元へ向かって出て行った。
「お茶系やコーヒーとかよりこっちの方がいいんだろ?」
 と、手渡されたのは、あたしがいつも飲んでいる果汁百パーセントのフルーツジュースだった。
 普段ならあたしが命令しても、面倒くさそうに適当なのをしぶしぶ買ってくるだけなんだけど。『俺の奢りなんだから文句言うな』とか言っちゃってね。
 今日に限って何でこんなに気が利くんだろう。
 まるで今朝の夢そのものじゃない。このキョンの様子は。

 しかも、あたしに対してだけではなく、クラスのみんなにまで笑いながら話しかけている。みんなも最初は意外そうだったけど、今はすっかり自然な調子で人の輪を作っている。
 こうやって眺めてると、キョンがクラス一の人気者であるかのように思えてくるから不思議だ。だけど、これって、まるであの朝倉が以前とっていたのと同じような態度と雰囲気じゃないの。

 まさか、やっぱり――いや、でも。

 気が付くと、あたしは何度もシャーペンの先でキョンの背中を突っついていた。
「どうした、ハルヒ。何か俺に用事でもあるのか?」
 キョンは嫌がりもせず、むしろあたしのことを心配するかのように声を掛けてくる。
「なんでもない」
 あたしは適当にごまかして、ひたすら窓の外をぼんやり眺めている振りをし続けた。
 今のあたしは、妙に臆病だった。

 放課後になった。
 今日は、あたしは掃除当番だった。面倒くさいけど、なにか身体を動かしていれば、余計なことを考えずに済むかもしれない。
 そんな思惑を裏切るかのように、キョンの奴が声を掛けてきた。
「なあ、ハルヒ。お前、確か今日掃除当番だったっけ。なんだったら、俺が代わってやってもいいんだが……」
「え、でも、キョン、あんた昨日も掃除当番だったじゃないの」
 普段なら無理矢理にでもキョンに押し付けて、さっさと部室に向かうところだったんだけど、今はちょっとそんな気分にはなれなかった。
 キョンはあたしのそんな気持ちもお構いなしに、
「そんなこといちいち気にすんなって。掃除当番なんて面倒事は雑用の俺にでも任せておけば良いのさ」
 と、言ってのける。
 あたしはしばらくキョンを睨んでいたけど、その優しそうな目を見てしまうと、結局なにも言えなかった。
「解ったわ。じゃ、あとはよろしくね」
 あたしは鞄を手に取り、慌てて教室の出入り口に向かう。
「キョン。――さっさと終わらせて、早く来なさいよ」
 と、平静を取り繕って告げる。
 キョンは台詞は、あたしが驚くようなことだった。
「おう。みんなによろしくな」

「!」

 思わず声を上げてしまいそうになった。何とか堪えたけど、振り返ることも出来ず、あたしはそのまま走り出していた。
 なによ、よろしくって。
 そうよ、『掃除で遅くなる』ことをみんなによろしく、って意味じゃない。意識過剰すぎるわね、あたしって。

 部室であたしを迎えてくれたのはいつもの面子だった。みくるちゃんのメイド姿は相変わらずの可愛さだし、有希が本の虫と化しているのも、古泉くんがスマイルで挨拶してくるのも、今まで通りだった。
「あのぅ、涼宮さん、キョンくんとは一緒じゃなかったんですか?」
 みくるちゃんに訊かれて思い出す。そうだ、キョンに掃除当番交代してもらったことを伝えなきゃ。
「ああ、キョンならあたしの代わりに今日も掃除当番だから」
「おや、二日連続で、ですか? 彼は面倒なことを自分から進んで引き受けるタイプではないと思っていたのですが……。なるほど、涼宮さんの代わり、なのですね」
 古泉くんは少しだけ何かを考えて、一人で納得していたみたい。
「…………」
 いつの間にか、有希があたしの方を眺めていた。あたしがそれに気付くと、すぐまた本に視線を戻してしまったけど。
 ひょっとしたら、みんなはキョンのことをなにか知っているのだろうか? とも思ってたんだけど、そんな気配は少しも感じられない。
 あたしには隠しているのだろうか。まさか、そんなことはないわね。
 でも。
 悶々としながら、あたしは団長席に腰を下ろして、パソコンの電源を入れる。みくるちゃんがお茶を淹れてくれたけど、それどころじゃなかっったので、手を付けずにいた。ごめんね、みくるちゃん。

 ノックの音がした。
 みくるちゃんの返事と共に、キョンが現れた。
「ちわーっす。あれ、やっぱ俺が最後でしたか」
 ニヤニヤ笑顔でキョンが皆に愛想を振りまく。あたしはパソコンのディスプレイに被りつく振りをしてキョンの方を見ないようにしていた。
 みくるちゃんは、いつものように、お茶を淹れるのに夢中みたいだったけど、有希も、古泉くんも、キョンの態度にはおかしなものを感じたのだろうか、それらしいやり取りの様子があったけど、あたしは聞こえてない振りをしてた。
「思ったより、早かったわね」
 なにも言わないのもちょっとわざとらしいかしら、と思い、あたしはキョンにさり気なく声を掛けようとしたつもりだった。が、やっぱり、妙にぎこちなくなってしまった。
「まあ、今日はなんとなくな」
 キョンの返事に被せるように、あたしの座っている椅子が悲鳴をあげた。自分でもビックリした。もう、何であたしがこんなに緊張しなくちゃいけないわけ?
 いつものようにみくるちゃんがキョンにお茶を給仕する。また、毎回同じようなやり取りを交わしているのだろう。油断していたあたしは、キョンのセリフの前後を聞き逃してしまった。

 え? なによ? 『地球の反対側』って。
 まさか、キョンの奴、そんな遠いところに行ってしまうの?

 気が付くと、あたしの手は掴んでいたはずのマウスを取り落としていた。
 床に落ちて派手な音を立てたマウスは、古泉くんの足元の方まで転がってしまったらしい。
 マウスを拾い上げた古泉くんは、それをあたしの方に差し出したんだけど
「どうぞ。あの――涼宮さん、どうかなさいましたか?」
 と、少し心配そうに声を掛けてきた。
「えっ、あ、ありがとう。古泉くん」
 あたしはマウスを受け取ったつもりだったけど、何故だか古泉くんはそれを離そうとせずに、あたしの方を見つめ続けている。
 やだ、あたし、うっかり何か変なことしちゃったかしら?
 何も言えずにあたしも古泉くんのことを見ていた。時間だけが流れていく。

 その気まずい雰囲気を破ったのは、キョンだった。キョンに話し掛けられた古泉くんがマウスから手を離してくれたので、あたしもそれを受け取ると机に置いた。
 あたしは、窓の方に向かって外を眺めることにした。
 キョンたちの話をなるべく聞いてしまわないように努力したけど、目を閉じるのと同じように、耳からの情報を遮断することは出来なかった。
 キョンは古泉くんに対してもいつものような邪険な態度を取るどころか、労いの言葉を掛けているようだった。らしくないじゃないの。

 かと思えば、キョンは有希にちょっかいを出し始めた。有希も相変わらずの様子だったけど、何だか少しだけいい雰囲気っていうのかしら、そんな感じがキョンから伝わってきた。
 どうやら有希は、キョンに何か自分の本をあげたらしい。って、キョン。その『大切にする』ってのはなによ? やっぱり、あんた『地球の反対側』にほんとに行っちゃうの?
 もう、わけわかんない。
 今すぐにでもここから逃げ出したいぐらいだった。

 そんなあたしの気持ちを無視するかのように、改まった口調でキョンがあたしに話しかけてきた。
「えーと、ハルヒ。ちょっといいか?」
「…………」
 ――ど、どうしよう?
「ハルヒ?」
 キョンが怪訝そうに訊いてくる。
 あたしは覚悟を決めるしかなかった。
「……聞こえてるわ。なに?」
 精一杯、虚勢を張りつつ答える。
 コホン、と咳払いをして、キョンは語り始めた。
「今までお前は、無茶なことばかりしてきたし、それに振り回されて疲れるのはもっぱら俺だったわけで、まあ、それが嫌だったかというとそういうわけでもなくて、なんだかんだで色々楽しかったと思う」
 妙にまじめな調子のキョンに、あたしは振り向くことも出来ずに化石みたいに固まっていた。
「もちろん、お前だけじゃなくて、朝比奈さんや長門、ついでに古泉も含めてみんなにはお礼の言葉いくらを贈っても足りないぐらいだと思ってる。無論、これだけの面子を集めることが出来たのも、団長であるハルヒの手腕に依るところ大であって、その……」
 やっぱり……。まるでお別れの挨拶でもしてるみたいじゃないの。冗談――なわけないわよね。キョンの声も震えているようだし、ってことは……、
「なんだ、まあ、要するに、俺がハルヒに言いたいのは『ありがとう』ってことだ。もうお前も気付いてるとは思うが、実は……」
 思わずあたしは立ち上がっていた。
 全ては決定的だった。もう逃れようの無い運命。
 キョンが、
 キョンがどこかに行ってしまう。
 嫌。
 そんなのは嫌。
 キョンの口が、その言葉を紡ぐ前に、
「……聞きたくない」
 あたしは呟いた。
 耐えられない。もうこれ以上。
 このままだと、あたしはどうしようもなく壊れてしまいそうだった。
「――帰る」
 そう言って、あたしはふらりとドアの方に向かった。
「おい、ハルヒ。待てよ」
 慌てた様子のキョンに向かってあたしはつい
「来ないで!」
 と、大声で叫んでしまった。

 多分、泣きそうな顔になってたと思う。

 呆然とするキョンを背にしてあたしは部室棟から逃げ出した。

 帰る、って言って飛び出してきたのに、あたしは何故か自分の教室に戻っていた。
 自分の席に座って、目の前のキョンの座席をボーっと眺める。

 キョンがいなくなる。
 何でこんなにショックなんだろう。あたしは、キョンのことなんて、別に、――好きだ――とか、そんなつもりは、なかったはずだ……多分。
 そりゃ、ちょっとは気になってたりするかもしれないけど、実際のところ、どうなんだろう。正直、そんなこと考えてみようともしなかったから。

 でも、この気持ちは何なの? まるで心に穴が開いてしまったような、この喪失感は、一体なに?
 わかんない。今のあたしには、解らないことだらけだ。

 一人になって、ちょっとは冷静になったのだと思う。あたしは、キョンが今日一日どんな気持ちだったのかを改めて考えてみた。
 今までSOS団のみんなと色々やって、あたしは実際楽しかったし、みんなもそう思っているはずだ。それには自信がある。もちろん……キョンだって、きっとそうに違いない。
 キョンが、初めて自分の転校のことを知ったとき、どう思ったんだろう。
 あまりにも急過ぎる。あたしだって、さっきみたいに取り乱してしまったぐらいなんだし。本人なら、もっともっと悩んだり、怒ったり……。
 でも、キョンは、何もかも受け入れていたんだ。そして、今日という日を、ずっと笑顔で過ごしてくれた。それも、きっとみんなとのいい思い出を作るため。
 なのに、あたしは……。
 最後の最後で、肝心なところで、キョンに悲しい思いをさせてしまったんじゃないの。

 窓の外からの夕日の赤が、いつの間にか教室内を満たしていた。黄昏に染まる風景を見ながら、あたしも、キョンのことを受け入れなくちゃだめじゃない、だとか、必死で自分自身に言い聞かせようとしていた。

 教室に誰か入ってきた。
 きっとキョンだ。見なくてもあたしにはそれが解った。キョンは、ゆっくりとあたしに近付いてくる。
「ハルヒ」
 あたしのことを気遣うような声。
 でもあたしは、キョンの顔を見られないでいた。そんな自分自身への歯がゆさのあまりに、あたしはついうっかり、いつもの調子で邪険に答えてしまった。
「なによ?」
 ああ、そんなつもりじゃないのに。あたしのバカバカ。
 でも、キョンはそんなことを気にするようでもなく、淡々と続けた。
「鞄、忘れてたぞ」
「あっ――!」
 マヌケな声を上げてしまった。そっか、あたし、帰るって出てきたんだっけ。
 キョンはちょっと困ったような表情だったけど、やっぱり微笑みながら、あたしの方に鞄を差し出していた。
 鞄を受け取るとき、つい余計な力が入ってしまったため、ひったくるような感じになってしまう。
 苦笑する様子のキョン。
 そうよね、最後くらい、ちゃんと笑ってなきゃね。
 無理矢理に笑顔を作って見せる。キョンとのお別れのことをしっかり受け止めないと――ちゃんと、本人の口から、何もかも聞かなくちゃ。
 せっかくこしらえた微笑が崩れてしまうのは、自分では止めようがなかったけど、あたしは思い切って、キョンに尋ねた。
「キョン……あんた、やっぱり転校しちゃうの?」
 あたしの言葉を聞いたキョンは、一体何のことだか解らない、といった様子で首を傾げた。
「だって、あんた、さっき……」
 え、なに、ちょっと。話が通じてないみたい、これって……。
「何を勘違いしたがしたかは知らんが、俺はどこにも転校なんかしたりしないぞ」
 平然と、キョンは言ってのけた。
 って、なにそれ?
「ほんと?」
 声が裏返ってしまった。
 キョンは、半分呆れたように、
「嘘ついてどうする?」
 と、逆に訊き返してきた。
「でも……」
 わけも解らず、あたしは俯いたまま混乱していた。
 キョンはあたしのことをじっと眺め続けていたみたいだったけど、
「なあ、もうそろそろ下校時間だし……俺たちも帰った方が良くないか?」
 といって、あたしの手を引いて教室を出ようとした。あたしは返事することも出来ず、ただキョンに引っ張られるままに付いて行き、下駄箱でキョンが取り出してくれた靴に履き替え、いつの間にか校門を出ていた。
 繋がれたキョンの手は、妙に暖かな気がして、あたしは自分の鼓動が速度を上げるのを自覚していた。

 帰り道、キョンと二人で並んで歩く。
 キョンは、しばらくの間、ずっと黙っていた。これでも気を利かせているつもりなのかしら。かえって気まずいじゃないの。
 仕方が無いので、あたしの方から話を切り出した。
「今日のあんたって、様子が変だったじゃない。ずっとニヤニヤしてるし、妙に気前もいいし」
 キョンは何も言わずにあたしの話を聞いてくれた。
「ただ、なにか企んでるような感じには見えなかったのよね。それに……まるで慌てて思い出作りでもしてるような雰囲気で、だから、あたしはてっきり」
 ほんと、大した想像力よね、あたしって。
 キョンも、同じようなことを考えたのだろうか、やれやれとか言いたそうな感じだった。それにしても急過ぎるだろ、とか言うキョンに対して、
「あの朝倉だって、なにも言わずにいきなり転校しちゃったじゃないの。しかもカナダとか」
 と、あたしがいうと、キョンもなにやら納得した様子だった。そもそも、あたしがキョンのことを誤解したのも、朝倉の一件があったからなんだからね。
「掃除当番だってあんたみたいな面倒くさがりが二日連続、しかもあたしの代わりを立候補だなんて、どう考えてもおかしいじゃないのよ。しかも『みんなによろしく』だとか」
 キョンは、何か言いたそうな様子だったけど、それがなにか解っていたあたしは先回りするように続ける。きっと、掃除で遅れるとか、そういうことだろう。
「ああ、うん、そういう意味だってのは解ってたわよ。でも、その言葉自体、ちょっとビックリするじゃないの」
 あたしの言葉に、キョンはちょっと申し訳なさそうな感じになった。
「部室でも、みくるちゃんと話しているときに『地球の反対側から』とか言ってるし、いつもと違って古泉くんを邪険にあしらってる感じもないし、有希から本を貰って『大切にする』とか言い出すし」
 冷静になって考えれば、どれもそう大したことでもない気もする。でもその時点のあたしはそれどころじゃ無かったのよね。
「いつ『実は、転校することになった』って打ち明けられるんだろう、そればかりを考えてて、でも、それを聞いてしまうのが怖くなって、一人で狼狽えてた……。そしたら、とうとうキョンが、まるでお別れの挨拶みたいなこと始めるじゃない。それで……」
 なんてことはない。あたしが勝手に一人で勝手なストーリーをこしらえて、自分でドツボに嵌っていただけだったんじゃない。
 そのことに改めて気が付いたあたしは、深く嘆息すると自分自身を嘲笑うかのように呟いた。
「何だかバカみたいじゃない、あたし。一人で変に勘ぐって、勝手に誤解して。ただのマヌケだわ」

 キョンは、からかったりもしなければ、相槌を打つわけでもなく、黙ってあたしの方を見ている様子だった。

 今日一日見せてくれたどれよりも、自然な微笑みを浮かべているのだろう。キョンの方を見なくてもあたしには、なんとなくだけど、それが解る。
 そう思っただけで、くすぐったいような恥ずかしさを感じてしまうのだけど、その気持ち自体、あたしは嫌いではなかった。

 その後、キョンから、何故一日中スマイル状態でいたのか、その理由を聞き出して、あたしは思いっきり呆れた。
 なによ、ちょっとはキョンのことを見直そうかな、とか一瞬でも思ってしまった自分が惨めに思えてしまうぐらい、しょうもないことだった。何か腹立ってきたわ、もう。
 プッツリと糸のような何かが切れるみたいな音を聞いてしまったあたしは、キョンの奴に散々説教をお見舞いしてやった。キョンって、ほんとに、性根から叩き直してやる必要があるみたいね。
 今からしてみれば、憤慨のあまりにあたしの頭の天辺からは湯気でも噴いてたんじゃないか、って思うわ。
 あたしの文句を一通り、いつもみたいに聞き流している様子のキョンだったが、ふと気が付くと、またうっすらと微笑を浮かべていた。懲りない奴め。
「……なによ、何でまたニヤニヤ笑ってんのよ。気色悪いから止した方がいいわ」
 キョン曰く、一日中微笑んでいたせいで癖になってしまった、だって。あんたって言い訳だけは小賢しいのよね、ほんと。
「ふんだ。柄にもないことするのがいけないのよ。大体、普段からもっとそうやって、あたしのために笑ってくれたり、もっとあたしに優しくしてくれてたら、変な勘違いせずに済んだのに……」
「おい、ハルヒ。お前、まさか俺に――」
「な、何でもないわよ……バカキョン」
 何だろう、うっかり恥ずかしいことを口走ってしまった気がして、あたしはついつい、足を速めてしまう。
 全く、調子が狂ってしょうがないじゃないの、もう。何もかも、キョンがいけないんだからね。

 でも――そうね。もっともっと、SOS団のみんなで、楽しいことばかりずっと続けていたら、いつだってキョンも笑っていられるじゃないの。うん、やっぱりその方がいいわ。
 やっぱりあたしがみんなを、キョンのことを引っ張っていかないといけないわよね。

 ねえ、キョン。あんただって、そう思うでしょ?


キョンサイドもどうぞ。




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